はじめまして。広島県三次市にある平田観光農園の加藤です。私は、1967年創業の平田観光農園に2000年に就職し、それから20年以上がむしゃらに果物の生産や加工販売に取り組んできました。果物はそのまま食べるだけでなく、パフェにしたり、ジャムにしたり、ドライフルーツにしたりと様々な楽しみ方があります。お客様に様々な顔を持つフルーツの良さを少しでも知ってもらい楽しんでもらえるような観光農園の新しい形を提供するのが私の仕事であり、試行錯誤しながら新しいことに挑戦してきました。今回は、観光農園の先駆けとして、教科書のないところでもがいてきた私の20年間を振り返りながら新しい農業コンテンツの開発秘話を全3回でお話しします。
第1回:観光農園に就職後、早速難題に直面
第2回:まだない観光農園を目指して
第3回:いちご狩りに新発想!?紙でできた「ヘタいれ」
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平田観光農園の歴史
1967年創業で中国山地の中央、広島県三次市にある観光農園です。果物観光農園としての礎は初代の平田昌明が山を切り開くところから始まります。西日本におけるリンゴ栽培の先駆けとして園地を開きリンゴ狩りを根付かせることに成功しました。2代目はブドウ栽培の研究者でもある平田克明が1985年に有限会社平田観光農園を設立し法人化します。リンゴ、ブドウのみならず1年中何らかの実りがあるよう12種類の果樹を植えました。1990年には約14haの園地にイチゴ、サクランボ、すもも、プルーン、桃、ブルーベリー、和梨、イチジク、柿、栗、ぶどう、りんご、西洋梨の圃場が出来上がります。その後、90年代に加工場、園内にレストランを2店舗開業します。その頃から団体での果物狩りや食事の受け入れも多くなり、「平田に行けば何かが狩れる」と競合も少ない中多くのお客様で賑わっていました。その裏で過剰投資による債務が2億円ほどあったそうです。
厳しい財務状況のなか就職
そのような経営状況とは露知らず、雲行きが怪しくなりはじめた2000年に私は就職しました。(今となっては騙されたと酒の席でネタにしていますが恩師が当社の平田克明の先輩であったことから「加藤行くのだ!」と言われ就職した手前、今も引くに引けていません。)とにかく5年間はがむしゃらにブドウの栽培に没頭しました。ほぼ休んでなかったと思いますが、休みの日は他県へブドウの勉強をさせてもらいに行っていました。
台風被害を機に不眠不休の商品開発
そんな折、2005年9月6日が一つの転機となりました。西日本に大きな被害をもたらした台風14号が農園に直撃しました。標高500mの山頂にある農園は暴風の被害を受け開園前の果物がほぼ落ちてしまいました。4か月かけて作った約16万房のブドウも一夜にして廃棄せざる得ない状況になってしまったのです。ジャムやジュースの加工に使用しましたが、到底使いきれず第3の加工方法を探し始めるきっかけになりました。外国産はあれど国産の干しぶどうがないことに着目し試作を始めたのが3日後の9月9日でした。加工場にあった食品乾燥機で1週間、不眠不休でトライしました。(本当です・・。)結果はあえなく失敗しましたが、その後2か月で食べられるまでの試作品は完成しました。
ドライフルーツの販売開始
翌年から量産する方法や賞味期限の検証など販売に向けた準備をして、2007年に広島県内にて販売を開始しました。種が入っている巨峰と甲斐路の2種類を販売しましたが好感触を得ることができました。当時、東京都立川市で国立ファームを運営していた高橋がなりさんへ直談判に行き2万袋の受注を得ることができました。翌2008年に長野へ工場を設立することになるのですが、この事が当時の経営陣を納得させる材料になったと思います。農繁期が終わってからさらに生産できるドライフルーツは果樹栽培におけるリスク回避、経営の安定化に大きく役立つものと考えたのです。
ドライフルーツ製造販売会社設立
2008年に㈲平田観光農園として工場を整備したのですが2009年に株式会社果実企画として子会社化し代表に就任しました。初年度から2000万円ほどの売り上げを上げることができ、慣れない東京での営業はとてもいい経験になりました。「種が入っているレーズン」を褒めていただけるバイヤーさんが半分、ふざけるなと怒るバイヤーさんが半分でしたが新宿伊勢丹、日本橋三越と、当時いい売り場を獲得していきました。ファーストエントリー企業として設立から5年は好調を維持できましたが、観光農園と兼業するスタイルに限界を感じるようになったのが2014年ごろでした。
長野駅に直営店オープン
そんな折JR東日本から長野駅全面改装に伴う出店依頼をいただき、2015年に直営店を長野駅にオープンしました。これを機にお土産商戦向けの商品づくりにチェンジして、長野に専属スタッフを雇用します。それまでの販売は関東方面がメインで、長野県産の無添加ドライフルーツとして外国産のドライフルーツの隣に置かれることが多く、日本の食文化には入り込めない特殊な食材として扱われていました。外国産と比べると数倍高い販売価格で、手に取っていただく方は限られていました。果物消費が少なくなった昨今の日本の食事情からニッチなマーケットであると感じていました。

試行錯誤しながら販路拡大
長野県は観光産業が盛んで1年を通して全国から観光客が訪れます。人気のお菓子に対抗すべく個包装したドライフルーツを箱に入れ、また1粒の干しぶどうを小さな袋に入れ1房分を箱に入れるなど、長野で採れた果物を長野で加工した100%NAGANO MADEの土産として認知されつつあります。長野県内のSAやワイナリー、旅館、産直での土産販売や、ホテルの食事用、旅館の「おつき菓子」(部屋に入ると置いてある饅頭や甘いお菓子)としての採用も増えています。2019年1月にキノコ工場をリノベーションして5倍の大きさの工場へ移転しました。併せて60aの加工ぶどう栽培専用の圃場も整備し、農業法人格も取得しました。コロナ前に移転出来て良かったと前向きにとらえながら14年目のシーズンを迎えております。
次回は、果物狩りの新しいスタイルを考案した際の開発秘話をお話しします。
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