小規模な家族経営における事業承継は他業種であっても本質的に違いはありません。他業種を俯瞰的に眺めることで新たな気付きを得られるかもしれません。今回はガラス加工工場の事例です。
事業承継の事例
その社長のご実家は東京の下町でガラス加工の工場を経営されていました。
世はバブル末期。
ご自身は大学を卒業されてから、当時の憧れの職業であった、広告代理店に就職して充実した社会人生活を送っていました。
楽しい日々が永遠に続くと思われたある日、彼の人生は大きく変わりました。
ご実家のお父様が倒れたのです。携帯電話など無い時代ですので、その知らせは職場の上司から聞くことになりました。
お父様は口にこそ出さないものの本当は後を継いでほしかったはず。
でも本人はそのことにうすうす気づいていながらも見て見ぬふりをしてきました。
ほどなくして最悪の事態が訪れます。
専務であったお母様が事業を継ぐことになり、番頭さんと切り盛りしていくという。
一瞬の空白のあと・・・
ご本人は今まで一度も考えたことのないことを口にします。
「俺も一緒にやっていくわ」
そして、お母様が社長に就任し、ご本人は専務として再スタートしました。
そこからが地獄の日々の始まりだったそうです。
バブル崩壊とともに受注は激減・・・
技術力をかわれ大手企業からの受注が多かったものの、大手への依存度が高く、失った注文の補てんができません。
営業だって今までほとんどしたことがない・・・
得意の広告戦略も大手と違って原資となるお金がない・・・
なんとか頑張って受注してきても
職人たちはやる気がない・・・
「こんなんうちの仕事と違いますよ」
「こんな誰でもできる安い仕事したくありません」
・・・・・・
古参の社員たちは不満を言うだけで全然協力してくれません。
新しく採用した若い工員もギスギスした会社の雰囲気になじめず1か月で辞めていきます。
八方ふさがりでどうしようもない中で数々の専門家に相談に行きました。
入社してからもう5年が経っていました。
解説
工場などの場合、ご子息が後を継ぐのかどうかで「継がない」決断をした後に先代の急逝により、再びこのような事態になることがよくあります。あれほど話し合って継がない決断をしたのに、いざとなると本当の気持ちが出てくることもあります。
この後、各専門家の話を聴きまわり、大切な経営資源に気づきます。それは「職人の技術力」でした。
「先代はとにかく人を大事にする人、企業は人なりといつも言っていましたよ」この長年付き合っている社会保険労務士の先生の一言がきっかけでした。
それまでは今までのやり方の延長に必死に活路を探していましたが、そこには答えはなかったのです。
ではどのようなことを取組んだのでしょうか。
1.財務状況
財務諸表、現在の売上、コスト、利益、借り入れ状況、借入先、返済状況、金利、仕入れ先などを税理士の先生と一緒になって細かく分析、確認して現在の財務力(体力)を把握した。これにはお母様が大事にしてきた税理士さんとの深い信頼関係が大きく貢献しました。
2.事業ドメイン
従来は大手企業や大手建設会社の下請けによるガラス施工と高級ブランド店のショーケースという特殊な加工技術を必要とする仕事を得意としてやってきたが、バブル後は大手の受注は激減、ブランドショップは繁華街から撤退と、仕事はほぼなくなりました。
そこで「技術力を生かせるガラス施工を東京に住む富裕層の個人に販売する」という事業ドメインを打ち立てました。
ターゲットにしたのは高層マンションに住む富裕層向けのオーダーメイドの姿見を加工施工するというビジネスでした。これが大当たりし、富裕層のネットワークから技術力を買われ、現在は海外のランドマークタワーのガラス施工まで受注するまでになりました。
3.人・組織
人こそが唯一の誇れる経営資源だと気づいてからは、毎週全員、個人個人と面談して個人の働く目的や夢を聴いています。お給料日には社員全員に長文の手紙を書き給与明細と同時に社員の目を見て「ありがとう」の言葉とともに渡しているそうです。
4.統治基盤
工場の権利関係や株式関してはお母さまにほぼ集約されているので、リスクは少なかった言えます。これは先代とお母さまが賢明で弁護士と相談して株を分散させなかったことが、基盤を安定させたと言えます。もし、株が分散していたら改革は暗礁に乗り上げていたでしょう。
5.ご自身の覚悟
言葉は悪いですが、事業を継ぐ決断をしたのは「情にほだされて」でした。サラリーマン生活を捨て、経験のない工場経営に乗り出すにはあまりにも現状を知らな過ぎたかもしれません。
専務として入社して5年、社長に就任して5年、入社してから10年間は苦しいことしかなくて、うまくいく方法を探し続けました。専門家に聞きまくるようになったのは、そんな時です。
先代のころからお世話になった社労士さんの「先代は人を大事にする人でした」という一言からじわじわと覚悟が決まりはじめ、一気に改革に乗り出せたのです。
ご本人に言わせれば「事業を継ぐ前にもっと勉強しておけばよかった」「現状把握とか覚悟の決まり方とか、知ってるだけであと5年は早く改革に着手できたのにね」と苦笑いします。
そしてラッキーだったのは、たまたま近くにいた専門家が頼りになったという事です。
ご本人に言わせれば、多くの専門家とのつながりがあったが、本気になってくれたのは社労士さんだけだったと言います。
その社労士さんのおかげで、税理士さんや弁護士さんとの関係も良くなったそうです。
事業承継の本質を知る数少ない専門家にたどり着けたのは幸運としか言いようがありません。
問題の本質は事業承継とは新規開業以上に「現状把握」が大事だということです。父親の希望だからと安易に継いでしまったため、生まれる感情はすべて「自分の人生こんなはずじゃない」「なんでもっと・・・しないの?」「従業員はなにをかんがえているのやら」となってしまいます。
事業承継はこのような後継者が受け身の状態ではうまくいきません。
そこで、本当の意味で覚悟を決めて主体的に経営者の道を進めるために、われわれ「後継者の学校」が一貫して後継者へ送るメッセージがあります。それは、
「後継者にとっての事業承継とは、超友好的な乗っ取り」
だということです。事業承継は乗っ取りなのです。ガラス工場を自分の資金で購入して経営するなら?
こう考えれば、現状把握に5年もかかることはなかったでしょう。
しかも友好的なのです。職人さんたちは「いい仕事」することが人生の目的だったのです。喜んで乗っ取られるとしたら、後継者だけなのです。後継者でなければできないのです。
このメッセージを受け止め、肚に落ちた後継者は、自ずと主体的に経営と向き合うようになります。
流れに任せてしまうと、うまくいっても準備に5年、着手して5年、最低10年は迷走してしまうというケースでした。
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