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(熊本県『天草農工房ふぁお』筒井洋充)
はじめまして。筒井洋充と申します。熊本の天草でデコポンのブランド名で知られる柑橘を栽培しています。
地方で農業をしているというとよく「実家が農家なのですか?」と言われるのですが、私は東京生まれ、東京育ちです。脱サラしたのは2014年。その後、紆余曲折を経て、熊本にやってきました。
2024年は私が首都圏を離れて10年の節目の年。今から思えば「あれは、しくじりだった」と思うこともあります。元会社員の私が、なぜ一人で農業をしているのか。一人で農業をするために何が必要か。10年で考え・実践してきたことをお伝えできればと思います。
私が脱サラしたわけ
私が脱サラしたのは、定年のない仕事がしたかったからです。
農業や地方移住が先にあったのではなく、自分で定年を決められる仕事って何だろう?と考えはじめたのをきっかけに、たどり着いた答えが農業でした。また、脱サラを考えはじめたのは、私が30歳を過ぎてからのことです。
仕事は嫌いじゃないが……
私が飛行機の整備士として、航空会社の全日本空輸(ANA)に入社したのはバブル崩壊直前の1991年。
「デスクワークには向いていない」そう思って、整備士を志望しました。ところが、実際に整備の仕事をしていたのはわずか4年。その後は管理部門に配属され、デスクワークをすることになってしまいました。仕事が嫌いだったわけではありません。けれど、もう整備には戻れないだろうと思うと、フラストレーションが溜まっていくのを感じました。
そして、定年のない仕事をはっきり目指し始めたのは、35歳頃からです。
私たちバブル世代は団塊ジュニアに次ぐ、人口ボリュームの多い世代です。入社当時はいろんな意味でおおらかでしたが私たちが入社後しばらくすると、来るべきボリュームゾーン対応のため、会社は次々と制度の変更を始めました。
先輩たちのようにはいかなくなる
特に変わったのが、退職金・企業年金制度と管理職制度です。
それまで年金は、国に代行して会社が運用していました。もともと年金制度が施行された1986年当時、日本人の平均寿命は男性が75.46歳、女性が81.09歳だったそうです。ところがご存じのとおり、今や平均寿命は男女ともに5歳以上長くなっています。平均寿命が長くなると年金支給のリスクは増えます。長引く日本経済の低迷と相まって、会社はリスクを減らすための代行返上を行ったのです。
さらに在籍年数に応じて給料が上がる年功序列の仕組みも変わっていきます。管理職試験が導入され、役職定年の仕組みも加わりました。先輩たちのようにはいかなくなることは、明白でした。定年後のことは、定年してから考えればいい。仕事なんていくらでもある。そのような考え方もあるでしょう。しかし、大学進学率が向上し、地方からどんどん人が集まる東京で、定年後に動き始めて間に合うのでしょうか。
人口ボリュームの多いバブル世代が一斉に定年退職を迎えれば、限られた仕事を奪い合うことになるはずです。
SARS・リーマン・同時多発テロで業界が低迷
そこに追い打ちをかけたのは、2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロでした。