農業は1次産業であり、産業発展の歴史が1次→2次→3次と進んでいったことから、どうしても「3次産業の方が1次産業より産業として優れている」という見られ方をされがちです。人間は過去から未来に時代が進んでいく中で、盲目的に世の中は進化する、より良くなっていると感じてしまいますが、本当にそうでしょうか。
例えば、もし流行りのAI(人工知能)が、持続可能性や生活の豊かさなど、さまざまな要素を加味してフラットに各産業を評価してみたら、意外と数字通りに、1次産業、2次産業、3次産業の順番で、評点がつくかもしれません。
本コラムにおいては、農業は単なる「食物の生産プロセス」ではなく、まだ語られていない可能性や魅力を持っており、1、2、3という型枠を超えて進化する産業であるということを、ひとりの新規就農者の事例から読み解いていければと思います。
「さあ、農業よ、まだまだお前の力はこんなもんじゃないだろ」と!
職業として農業を選んだ理由
今回の第一回でご紹介する山梨県北杜市の農業法人FARMAN(ファーマン)の井上能孝さんは、新規就農者です。埼玉県で育ち、農業を営むためにこの北杜市に移住しました。
井上さんが職業に農業を選んだ理由がまずユニーク。「働いている気分を感じないで働き続けるためにはどうしたらいいか」と考え、人間の衣食住に近く、好きなことを選べば生活そのものを仕事にすることができるのではと思い、生活に密着した産業である農業を生涯の職業として選択したそうです。
井上さんに初めて会ったときに教えられたのが、FARMANという社名の由来と農業法人として目指したい理想の姿でした。名前の由来は、ウルトラマンや、スパイダーマン。テレビや映画の世界のヒーローが〇〇マンであることが多いという理由で、自らが農業界と地元のヒーローになることを目指してFARMANという社名にしたそうです。
農業法人としては、1.週休二日制の導入、2.働きに応じたボーナスの支給、3.社会保障の充実の3つをきちんとできる会社にしたいと教えてくれました。この3つをきちんと提供できる会社ができれば、若者が就職先を選ぶ際に農業が他の業種と比較されても決して見劣りせず、就農人口の増加にもきっと貢献できると考えているとのことでした。
地元に貢献するさまざまな活動
井上さん自身が就農先を探していた際には、地元の自治体の方にとても親身に相談に乗ってもらったことと、北杜市の山岳景観、農業に適した冷涼で日照時間が長い環境であるにもかかわらず、耕作放棄地が多く農地を確保しやすいということが大きく影響したそうです。
FARMANでは現在、約7ヘクタールの農場で主に、ニンニクや玉ねぎを中心に、約30種類の野菜を栽培し、出荷しています。本業である野菜の栽培、出荷を着実に行いながら、そこを基盤に地元に貢献するさまざまな活動をしているのがFARMANのもう一つの特徴です。
今回はその中でも地元の小学校、旧高根北小を活用した取り組みについてお話を伺いました。
地元の小学校を活用した取り組み
井上さんは数年前から毎年1,000人規模の小学生の農業体験の受け入れを行なっています。
その活動を続ける中で、ある時、子供たちの多くが自分の夢について語りたがらないということに気づいたそうです。そんな子供たちに、夢を持ちそれを人前で自信を持って話してもらいたいと思い、まずは自分が率先して自分の夢を子供達の前で発表してみることを始めました。
相手が小学生だったということもあり、いくつかある夢のうちの「学校の校長先生になりたい」という、一見突拍子もない夢を発表していたそうです。
そんな中、実際にFARMANで農業体験をした生徒も多く卒業していた地元の高根北小学校が廃校になり、市が借受業者を探しているという話を聞きつけ、もし小学校を借りることができ、そこを自由に使うことができれば、子供たちに宣言していた「校長先生になる」という夢が実際に叶えられると思い、公募に応募しました。
この小学校は今後、各教室をリノベーションし、地元の住民の方々に活用してもらえるような使い方をしていければと考えているそうです。
1階の家庭科室を野菜の集出荷場にし自社事業や地元の農家から持ち込まれる作物の集出荷に活用、
2階の普通教室には宿泊施設や飲食スペースなどを用意し地元の方々に使ってもらえるように開放し、観光事業へも利用、
3階は音楽室をリノベーションし、都会のビジネスマンにも利用してもらえるコワーキングスペース「KANADE」をはじめ、入居する事業者にワーケーションスポットとして使ってもらう事もイメージしているそうです。
体育館は都会の企業と連携し、災害時の避難所としての機能を残しつつ、多目的な遊戯場としても開放していく予定です。
井上さんはよく、多くの人に農業をもっと近くに感じて欲しいと言います。井上さんにとって農業は、「懐が深い産業」であり、「なんでもあり」な仕事であり、より多くの人がいろんな形で農業に関わり、より自分らしい生き方を見つけてもらえる事ができたらと考えており、そういった機会をこの小学校の施設を通じて地元の人や都会の人に提供していきたいと考えているそうです。
地元貢献と営農活動を中心に自由な発想でチャレンジ
井上さんは地元の方々からとても愛されています。井上さんと一緒に北杜市を回るととても多くの地元の方から声をかけられます。これは新規就農者でありながら、地元のために活動し、「自分は北杜に骨をうずめる」と公言して憚らない覚悟を周りの方々が理解し、その活動に共感してくれているからなんだと思います。
井上さんと話しているといつも感じることが二つあります。一つ目はとにかく明るく前向きなこと。もう一つは、固定観念に囚われず、自由な発想で農業を営んでいること。そんなメンタリティが井上さんの日々の越境活動を支えています。
あくまで地域の農業法人として地元貢献と営農活動を中心におきながら、自由な発想でさまざまなことにチャレンジしています。自分にとって新しい作物や品種への挑戦はもとより、微生物の研究、農福連携、インバウンド観光支援、異業種とのコラボレーションなど積極的に行なっているため、FARMANには他県からの視察のゲストも多くやって来ます。
開放性、勤勉性、調和性
心理学者のジョージ・ピーターソンは革新的な人物には開放性、勤勉性、調和性の3つの組み合わせに独特な特徴があると言ったそうです。まさに井上さんにはこの3つが備わっていると感じました。
新規就農者でありながら、いや、新規就農者であり移住者であるからこそフラットに物事を捉え、勤勉性を持ってさまざまなことを深く洞察し、地元との調和の中でそれを実現していく。
農業を生業としながらも、野菜を育て出荷することを唯一のゴールと設定せず、高い視座と大きな世界観の中である意味農業を手段として社会変革を進めていく。ここに数多ある農業の課題を少しずつでも解決していける、一つのヒントのようなものを見つけた気がしました。
最後に、井上さんにとっての持続可能性について聞いてみたところ、「自分たちのしたことを自分たちで片付ける自己完結的な道徳観」との答えをもらいました。一見途方もない理想を目指し、普通は無理かもしれないと諦めてしまいそうなことに対しても、身の回りの事柄に置き換え、一つ一つ丁寧に実践していく。そんな井上さんの生き方そのものを表している表現だな、と感じられるインタビューとなりました。
次回の第2回では、これまでになかった「新しい消費の形」が生まれ始めている、生鮮食品流通の一つの選択肢に関する事例を紹介いたします。
シリーズ『アグリ5.0に向けて〜越境する農業の現場から〜』の第1回目以降のコラムはこちら
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